老耄の

 

加藤 康二

 

 今年は戌年、イヌというとその凛と立っている耳が立派である。私は幼い頃から人の耳の相が気になっていた。家内と初めてあったとき、先ず豊かな耳朶が気に入った。後日「顔はよく見ていない。耳で決めた」と言ったら彼女はおかんむりであった。

 小泉首相の耳は福耳か?あの髪型に隠され、さだかではない。しかし彼の耳は尋常ではない。聞く耳持たぬ耳、都合の良いことだけ聞こえる耳。だからひとの出来ぬことをやってのけられるのかもしれない。

 さて私の耳は?年の暮れになると「第九」が聞きたくなる。12月のBGMはこればかり。1227日グランシップで「静岡交響楽団第九」を聞いてきた。音楽に疎い私でも毎年感じ方が違ってくる。

 最近耳が聞こえにくく、頭も疎く不便な日々を過ごしている。研究会の司会は不自由であり、ディスカッションにも加わりにくい。特に術語にイ行音(イキシチニヒミイリヰは高音)が入ってくると理解困難になってくる。映画も字幕の方が解りやすい。反面難聴になってから、かえって音に敏感になった感がする。補聴器を使ってもなかなか心地よい音には巡り会えない。ほとんど不快な音、割れた音に聞こえてしまう。人間関係もまた然り、好き嫌いが激しくなり、波長の合う人になかなか巡り会えない。勝手老人の頑なさなのだろうか?ベートーベンがそうであったように人間は失われつつあるものに一層惹かれるものらしい。そんなわけで最近の私は美しい調べを求めて、気の合う人を求めて生きているようであ

る。京都大原の里・宝泉院「」通いがまさにこれだろう。

 12月はじめ東京紀尾井ホールも感動ものであった。若い指揮者のエネルギー、ライブは素晴らしい。指揮・ヴァイオリン:コリヤ・ブラッハー、ベートーベン:ヴァイオリン協奏曲ほか。使用楽器はある日本人貴婦人から贈られた1730年製名器・ストラディヴァリウス「トリトン」だそうだ。感動の音色、昔の職人技は300年後の今も生きている。

 今年も私は耳障りのイイ音を求めて、心にイイ人を求めての旅を続けたい。しかし、今の日本は、政治、経済、文化、教育に不協和音ばかり、なんとかならないものか!先日あるフランス料理レストランで折角の料理がピアノ演奏の不協和音でぶちこわし!私がガマンならぬというと、当世若者受けなんだと家人になだめられた。

 暮れに書類整理していたら「仙崖和尚老人十歌仙」という面白い資料を見つけたので紹介させていただく。

「しわがよる ほくろができる 腰曲がる 頭が禿げる ひげ白くなる

 手はふるう 足はよろよろ 歯は抜ける 耳は聞こえず 目は疎くなる

 身に添うは 頭巾 襟巻き 眼鏡   たんぽ おんじゃく しゅびん 孫の手

 聞きたがる 死にとうながる 淋しがる 心は曲がる 欲ふかくなる 

 くどくなる 気短になる 愚痴になる  出しゃばりたがる 世話やきたがる   又しても 同じ咄に 子をほめる    達者自慢に ひとはいやがる」

 三十年来私は他人事として、ユーモア気分で「健康大学」講演会のネタで使用してきた。しかし最近、思い当たることばかり、身につまされる思い。この機会に改めて自己を見直す糧としたい。